【茶人マガジン編集長 迫 琢磨】”茶人マガジン”にのせた想い [0記事目]

茶人マガジンの記念すべき1記事目をアップする前に、私、迫琢磨が自問自答でインタビューをするという前代未聞の方法で、茶人マガジンへの想いをここに綴らせていただきます。

過去の出来事からインタビューしていますので、茶人マガジンの想いだけをみたい方はこちらから

茶を愛する人へインタビューする、日本茶メディア【茶人マガジン】。制作を担当されているのは、迫琢磨さんです。彼が学生時代に設立した、日本茶の販売を手掛ける”巌丸茶園(ガンマルチャエン)”は、現在若者の間で少しづつ知名度を上げてきています。今回はそんな彼にこれまでの歩みとこれからの想いをお伺いしました。

【過去】

———お茶と出会うまでの人生を教えてください。

「私は京都の宇治で育ったのですが、高校まではサッカーに励んでいて、日本茶に特に興味を持つキッカケはありませんでした」

「サッカーではプロを目指していましたが、高校卒業を機にサッカー人生に終止符を打ち、大学ではイベントの運営をしたり、キッチンカーで全国を回ったり、色々な経験をして楽しく過ごしていたのを覚えています」

———お茶との出会いは何ですか?

「大学生の時に、京都のお茶屋でたまたま飲んだ玉露にすごく感動したんです。お茶がこんなに美味しかったこと、宇治に育ったのにお茶の美味しさを全然知らなかったこと、に衝撃を受けたのを覚えています。」

「その当時、何を仕事に生きていこうか、悩んでいたんですよね。それまでずっと、本物の感動を届ける仕事がしたいなとは考えていましたが、その”感動”とは何かがわかっていませんでした。そんな時に日本茶と出会い、感動し、この感動を届たいと思うようになったんです。」

「気がつけば茶農家さんの下で働いていました。」

———お茶の世界に入ったきっかけを教えてください。

「大学在学中、約2年農家さんのもとで修行をさせていただいて、お茶の奥深さにはまっていきました。」

「私は飽き性なのですが、日本茶は知れば知るほど広がるのでどんどんはまっていって、気づけば抜け出せなくなるほど、お茶の魅力に魅了されていました。」

茶農家さん修行当時

「その頃からお茶に関わって生きていきたいと思い始め、どの様にお茶に関わっていくのかをとても悩みました。そんな時に言われた農家さんの『茶農家はこれから厳しくなるから、やめておいた方が良い』という言葉を聞き、美味しいお茶を生産しても売れなかったら継続していけないし、美味しいお茶はもう日本に存在している今、足りていないのは”美味しいお茶を正しく広めていく人材”なんじゃないかと思い、日本茶を販売していく側でお茶に関わっていこうと思いました」

「そして二年間の農家さんでの修行を終え、お茶屋さんで販売の経験をさせていただき、2020年に巌丸茶園を設立しました。」

———会社を設立してからの歩みを教えてください。

「コロナ禍での会社設立だったので、イベントへの出店や店舗の運営など、思うようにいかない時も多々ありました。それでも生きていくお金を稼ぐために、昔から得意だったWEB制作と広告運用の仕事もしながら、少しずつ日本茶の販売を続けてきました。」

「日本茶を知れば知るほど好きになる自分がいて。いつかはそんな私の大好きな日本茶の、歴史の一部になりたいなと思いながら、今も活動を続けています。厳しい中でも活動を続けてこられたのは、応援してくださるみなさんのおかげですね。」

次ページ[茶人マガジンへの想い]

1 2
よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

目次
閉じる